その講義から考えた事を書いてみようと思います。
中学時代は、「どうせ・・・」と勉強もしていなかった。
高校生になって、進路を考える時、自分の将来を考えられるようになった。
それから、HIVをまるごと受け止められるようになった。
何のために働くのかを考えるようになった。
自分の病気についてももっとよく知りたいと思うようになり、調べ始める。
悔しい、許せないという気持ちや、事実を知りたいという気持ちになる。
国相手の裁判(川田さんはこの裁判の初めから参加していたわけではありませんが。)に参加
公表したのは19歳の時。でも、高校生のときに、彼女さんや親しいお友達には言ったそうです。自分はHIV感染者なんだ、って。
彼女さんもお友達も、同情しないでその後も付き合ってくれたそうです。
川田さんはおっしゃった。
「相手が負担に感じる、つらく思う、かわいそうだとかお気の毒にと思うような同情は嫌だった。」
“同情”の是非について何人かと議論した事があった私は、妙にこの言葉に引っかかってしまった。いやね、抽象的な話だし、だから何よ!?って思う人もいると思うけど、考えてみたかった。法曹になるにしろ、国際機関で働くにしろ、自分の職業選択の動機のひとつになる可能性があるから。戦争下で苦しむ子ども達の様子を見て、「何か」感じるところがあったから興味関心の対象がそっちに向いていて、何かしたいと思っているわけで。その「何か」ってなんなんだろう。同情?
同情
他人の感情、特に苦悩不幸などをその身になって共に感じること
(広辞苑より)
必ずしも、ネガティブな意味じゃないみたい。
ネガティブな意味っていうのは、川田さんが挙げたようなもの。相手との距離をそれまでより大きく取るようなもの。
「同情」っていう言葉には、そんなイメージがこびりついている気がする。
辞書どおりの意味だったら、「同情はすべきでない」っていう意見を持ってる人でも納得してもらえると思うんだけど、
社会で通用している意味だと、「同情はすべきではない」っていう意見も、判らなくもない気がしてしまう。
私はね、同情はしてもいいと思う。というか、してしまうものだと思う。
目の前の人と思いを同じにすることは、ステキな事だし、大事な事だと思うから。
たとえネガティブな意味だとしても、人は自分と他人を比べてしまうものだから。
それは別に悪い事ではなくて。それに縛られすぎてしまうと、自分がつらくなってしまうけれど。
辞書どおりの意味だったら、問題はないと思うけど、
社会で通用している、ネガティブな意味だと、
うーん、
それを行動や言動に表すか否かが問題になるのだろうか。
もちろん、「かわいそうだ」って言って欲しい時ってあると思う。
・・・あるよね? 汗
私は、ある。
現実を受け止めきれなくて、逃げ出したくて、
私はかわいそうな存在なのよって
無性にアピールしたくなる時がある。
自分でもあんまりかっこよくないと思うから、
周りにしても、うざいこと極まりないと思うから、
気を付けたいと思うけれど、なかなか直らない。私の欠点のひとつ。
ただね、
「同情なんてしないでほしい」
っていう話もよく聞くんだ。
それは、事実だと思う。勿論ね、強がりが入っているケースもあると思う。
でも、それは本心だと思う。
なんだかもう、どうしようもない事を、まるごと受け止めて生きていく
そう決意した人にとっては、
這い上がれた人にとっては、
強い信念を持って前を向いている人にとっては、
「かわいそう」なんて言葉や、そう思わせる行動なんて、いらない。
というか、前を向いてる気持ちを小さくしてしまう。
そう思う。
comment
先輩とおんなじように、なおしたいと思ってきました。
また、同情なんかせんといてよ、と思うこともやはりあります。
たぶんあたしの場合は(そして多くの人もそうやと思う)、常に誰かに同じ目線でおってほしいんです。特に、ツライなー、て感じるとき。
こーゆーとき上から目線で見られると、自分の低さが際立って、余計ヘコむっていうか…
心理学的にも、誰かを慰めるときには「かわいそうに…」よりも「わかるよ。あたしもそういうことがあってね、…」という言い方の方が効果が高いんやそうです。できるだけ、相手と同等かそれ以下の悲惨さを持った体験談を添えて。
ただ、HIVともなると…「そんなんと比べんといてよ!」程度の体験談しか見当たらへん。難しい…
というか、そーゆー体験談を探してあげてる時点で、すでに上から目線になっとりますなぁ。。
「同情」とか意識せずに、自然と、悩める相手を包み込めるような人間になりたい…この記事を読んで、そんなコトを考えました。
またきますね♪
もちろんつらいことなんだろうけど、
別にそれを知ったからって俺ができることは
出血の際は強く気をつけるくらいでしょ?
あとは適当でいいと思う。
「別に?それで?」な気持ち。
たとえるなら、遅刻したときに
「ごめん。ホントにごめん。いやぁね、・・・(以下略)」
「大丈夫だよ。気にしないから、早く楽しい話しよう!」
って感じ。
俺はそう接してほしいから、そう接するつもり。
相手の状況を自分のものと考えられることだと思う。
言い方の問題もあると思う。
同情っていうより、思いやりっていった方が目線が同じ気がするしね。
目線に関連して尺度も問題になると思う。
例えば生活を軸にすると、開発途上国で当たり前のことが先進国では同情の対象になる。
目線が上というのが問題になるのだと思う。
ケースバイケース、話し方や性格的なものもあるんだと思う。
それに同情は強要できるものでもないし、自発的なもの。
確かに同情が必要ない人はいると思う。
でも全員がそうなれるわけではないし、セーフネットの意味でも同情は機能するんだと思う。
援助も同情の精神がなければ起こらなかったと思う。
ぼくは「同情」されたい、思いやりが欲しいって思うことは肯定的なんだよね
人間、そんなに強くないし(少なくともぼくはね)
立ち直るまでは思いにすがって生きてもいいと思う。
・・・ちなみに私はこの特集全体で、たぶん10回近く泣きました。涙もろくなったもんだ。もう年かしら(笑)
ほぼ日刊イトイ新聞 http://www.1101.com/home.html
さかもっちゃんとは以前「同情」について少し話したよね。
>もちろん、「かわいそうだ」って言って欲しい時ってあると思う。
・・・あるよね? 汗
ある。別にそれが普通のことだと思うよ。
≫さおりちゃん
初コメントだよね?ありがとう♪
>たぶんあたしの場合は(そして多くの人もそうやと思う)、
>常に誰かに同じ目線でおってほしいんです。
>特に、ツライなー、て感じるとき。
わかるっ
同じ目線に立ってくれてる、って分かっただけで、かなり安心する。落ち着くというか。心を緊張させていたものが一気に緩む感じ。
>こーゆーとき上から目線で見られると、
>自分の低さが際立って、余計ヘコむっていうか…
なる。こういう行動をとられると、私はイラッとしてしまう。
気を遣って言ってくれてることは分かってるんだけど、正論だと思うんだけど、だけどだけど、どうしようもないから悩んでるんだよ!と反発してしまう。
が。一方で、こんな態度は自分にも思い当たる節が・・・ひょ。
子曰く、「己の欲せざるところは人に施すことなかれ。」と。
ですね^^;
>「同情」とか意識せずに、
>自然と、悩める相手を包み込めるような人間になりたい…
>この記事を読んで、そんなコトを考えました。
うん。そんな人間になれたら、どんなにいいだろう。
包容力って、よく男性のタイプ(すなわち、女性に、「好みのタイプは何ですか?」と聞いたときに返ってくる答え)として出てくる言葉だけど、包容力のある女性も素敵だと私は思う。それを母性というのか、母親になったこともない私には分からないけど、地球という惑星一個くらい包み込めちゃう・・・ほどにはいかなくても、自分の周りの人を、自分の大切な人を包み込めるくらいの人間になりたいものです。
ぜひぜひまた来てちょ☆
≫けいすけ
なんとけいすけらしい考え方・・・笑
>俺としては「当たり前」な感覚が大事だと思う。
>もちろんつらいことなんだろうけど、
>別にそれを知ったからって俺ができることは
>出血の際は強く気をつけるくらいでしょ?
>あとは適当でいいと思う。
>「別に?それで?」な気持ち。
まあ、たしかに、何か特別なことをして欲しいわけではないのだよね。ただ、話を聞いて、やさしい言葉をかけて欲しいだけなのだよ。
それが嘘かどうかなんて、その時はそんなに問題じゃない。そう言ってくれることが必要なんだ。
そういう(ただ、そういう言葉が必要な)シチュエーション、他にもあるやん?
例えば、
「仕事と私、どっちが大事なの?」
と夫に迫る妻。
そりゃね、普通に考えてどっちも大事だろうし、仕事を優先しなくちゃいけない時だってあるのは分かってるのさ。でも、「お前さ」という一言があれば、もう頑張れちゃうわけなのさ。
(知り合いの奥様Aより)
というのが私の考えですかな〜w
>たとえるなら、遅刻したときに
>「ごめん。ホントにごめん。いやぁね、・・・(以下略)」
>「大丈夫だよ。気にしないから、早く楽しい話しよう!」
>って感じ。
けいすけイズム、全開やな 笑
自分の考えをガツンと突き通せる、けいすけのそういう所、見習いたいわー。
≫よーいち
>言い方の問題もあると思う。
たしかに。それもありそうだ。
なんか、「同情」という言葉にこだわりすぎていたかも。そうね。「思いやり」とそう変わらないのかも(見下ろす感じでなければ。)
>目線に関連して尺度も問題になると思う。
>例えば生活を軸にすると、
>開発途上国で当たり前のことが先進国では同情の対象になる。
>目線が上というのが問題になるのだと思う。
そうだね。同じ目線に立つというか、同じフィールドに立たない限り、同情だとか思いやりだとかいった感情は捨てきれないのかもね。全ての人が同じフィールドに立つことは事実上困難だから、そういった感情を抱くことは当然のことなのかもしれない。もちろん、全員に強制するのはナンセンスだと思うけども。また、他者の気持ちを想像出来ないと、他者の目線に近づこうとしないと、抱けない感情であると思うから、もっと肯定的になってもいいのかもしれないね。うん。
≫ごーちゃん
>「ほぼ日刊イトイ新聞」の中の、
>「『明日の記憶』とつきあう」の中の、
>渡辺謙と糸井重里が交換したメール
3通目で、もう涙が止まらない私。
二人のメールを読んで感じたことを書き留めておきたい。
のんびり、新しい記事としてエントリーしていけたらと思います。
すてきな記事を紹介してくれてありがとう☆
そうそう!
今度ゆっくりお茶でもしよう^^
≫くまーだ
ありがとう。さっそく読ませていただきますね♪
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♪同情を欲したときにすべてを失うだろう♪
なんか久しぶりの更新です。書きたい事は結構あるのですが、この1週間なんかえっちらほっちらだったので。で、今回書いてみようと思うことは、「同情」について。友人がブ //We'll Never Walk Alone !! 2006/05/21 03:58
川田龍平 について
川田龍平川田 龍平(かわだ りゅうへい、1976年1月12日 - )は人権アクティビスト。東京HIV訴訟(薬害エイズ事件)原告、松本大学非常勤講師。東京経済大学出身。母は元衆議院議員の川田悦子。血友病患者で非加熱血液製剤によりHIVに感染した。高校生の時、実名を公表しカミ //食品添加物や健康食品について 2007/03/09 01:55
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