2006/02/04 (Sat) 己に厳しく
「なんで勉強するの?」という記事に対しての、ろんちゃんのコメントとろんちゃんのブログを見て、自分を激しく反省しました。
で、そこで思ったことと、最近考えてたことを書いてみようと思います。
あ、タイトルは、いーとぅんの元高の応援団のスローガン(だったよね?)団訓(今更だけど直しましたにょ。)からいただきました。(勝手に^^;)
で、そこで思ったことと、最近考えてたことを書いてみようと思います。
あ、タイトルは、いーとぅんの元高の応援団の
「テスト?
やっばいよー。でも・・・単位は来るんじゃない?
まあ、あんまり勉強してないし。
今回単位とれなくても、来学期とればいいし。」
昨日、私はこんなことを言った。
はぁ?馬鹿じゃないの、私?
私、戦争下の子どもたちを笑顔にしたかったんじゃないの?そのために、まず自分にできることは勉強だって思ったんじゃないの?
ねえ、何やってんの、自分???
何、その学問に対する態度は?
時間がなかった?
んなことない。そういうもんじゃない。自分で時間をつくろうってこと、しなかったよね?勉強したいって、口ばっかで、実際やりたいことのどれだけをこなしたの?授業だって、どれも自分で選んで自分で履修を決めたものばかりじゃない。
いいや、問題はそこじゃないのかも。
それができなかったこと、反省してた?
見ないふり。知らないふり。
別にいいじゃん、って思ってなかった?
自分は恵まれている。そんなあまりにも明白なことに、どうして気が付かなかったのだろう。いや、忘れていたのだろう。
もう一回、自分を見つめなおそう。
今の私じゃ、戦争下の子どもたちを笑顔じゃなくて、泣き顔にしてしまうのだろうな。だって、自分が恵まれてるってことをほとんど意識せず、その豊かさにかまけ、口ではいいことばっかり吐いて、勉強してないんだから。
格差がうまれてしまうのは、資本主義だってことを考えれば仕方ないんだろうな。だったら、私は、恵まれた環境にあるものとして、もっと自分に厳しくなきゃいけないと思う。
私の場合、打ち込むべきは勉強なのだろう。もちろん、これは、いわゆる勉強だけでなくいろんなものを含むのだ。
だったら、もっと一個一個の物事に真剣に取り組まなきゃいけない。
(そう言う意味では、勉強する理由は、ろんちゃんやきうち君が書いてくれたものに近いものも私の中にはあるのだろうな。)
「無理だ」などと妥協しなきゃいけない状況も、もちろんあるだろう。でも、それは本当に最後の最後にしたい。
しぶとくしぶとく。
そうしたいから、というよりは、そうしなきゃいけないんだと思う。
エリートだとか、そういう話にも繋がってくるんだろう。
うん。前にも書いたけど、私は自分をエリートだと思ってる。
事実、そうなんだと思う。傲慢だと思う人もいると思うけど、大学に通って学問をできるという状況にあるだけで、十分エリートだと私は思う。まして、私は東大生。エリートじゃなく、何なのか?と思う。(反論、あるだろうな。まあ反対意見もわかる。別にそれを否定する気はないの。私はこう思う、ってだけよん。)
以前、アメリカは超大国としての義務を果たすべきだ、って書いた。
私にも、同じことが言える。
恵まれた環境にいるんだから、しっかり義務を果たすべきだ。しっかり還元できるように、たくさんのことを身に付けるべきだ。
もっと、己に厳しくなろう。
もっと、人に優しくできるように。
そして。
言葉が先行してしまいがちな私。
言葉に行動が伴わないことが多い私。
前、反省したハズなのにね。
そんな私も克服しないといけないね。
やっばいよー。でも・・・単位は来るんじゃない?
まあ、あんまり勉強してないし。
今回単位とれなくても、来学期とればいいし。」
昨日、私はこんなことを言った。
はぁ?馬鹿じゃないの、私?
私、戦争下の子どもたちを笑顔にしたかったんじゃないの?そのために、まず自分にできることは勉強だって思ったんじゃないの?
ねえ、何やってんの、自分???
何、その学問に対する態度は?
時間がなかった?
んなことない。そういうもんじゃない。自分で時間をつくろうってこと、しなかったよね?勉強したいって、口ばっかで、実際やりたいことのどれだけをこなしたの?授業だって、どれも自分で選んで自分で履修を決めたものばかりじゃない。
いいや、問題はそこじゃないのかも。
それができなかったこと、反省してた?
見ないふり。知らないふり。
別にいいじゃん、って思ってなかった?
自分は恵まれている。そんなあまりにも明白なことに、どうして気が付かなかったのだろう。いや、忘れていたのだろう。
もう一回、自分を見つめなおそう。
今の私じゃ、戦争下の子どもたちを笑顔じゃなくて、泣き顔にしてしまうのだろうな。だって、自分が恵まれてるってことをほとんど意識せず、その豊かさにかまけ、口ではいいことばっかり吐いて、勉強してないんだから。
格差がうまれてしまうのは、資本主義だってことを考えれば仕方ないんだろうな。だったら、私は、恵まれた環境にあるものとして、もっと自分に厳しくなきゃいけないと思う。
私の場合、打ち込むべきは勉強なのだろう。もちろん、これは、いわゆる勉強だけでなくいろんなものを含むのだ。
だったら、もっと一個一個の物事に真剣に取り組まなきゃいけない。
(そう言う意味では、勉強する理由は、ろんちゃんやきうち君が書いてくれたものに近いものも私の中にはあるのだろうな。)
「無理だ」などと妥協しなきゃいけない状況も、もちろんあるだろう。でも、それは本当に最後の最後にしたい。
しぶとくしぶとく。
そうしたいから、というよりは、そうしなきゃいけないんだと思う。
エリートだとか、そういう話にも繋がってくるんだろう。
うん。前にも書いたけど、私は自分をエリートだと思ってる。
事実、そうなんだと思う。傲慢だと思う人もいると思うけど、大学に通って学問をできるという状況にあるだけで、十分エリートだと私は思う。まして、私は東大生。エリートじゃなく、何なのか?と思う。(反論、あるだろうな。まあ反対意見もわかる。別にそれを否定する気はないの。私はこう思う、ってだけよん。)
以前、アメリカは超大国としての義務を果たすべきだ、って書いた。
私にも、同じことが言える。
恵まれた環境にいるんだから、しっかり義務を果たすべきだ。しっかり還元できるように、たくさんのことを身に付けるべきだ。
もっと、己に厳しくなろう。
もっと、人に優しくできるように。
そして。
言葉が先行してしまいがちな私。
言葉に行動が伴わないことが多い私。
前、反省したハズなのにね。
そんな私も克服しないといけないね。
comment
大学の勉強は単位だけ揃えて、他の勉強(社会勉強ってだけじゃなくて、狭い意味の勉強も含みます)をするっていうのもありだと思うから
>「テスト? やっばいよー。でも・・・単位は来るんじゃない? まあ、あんまり勉強してないし。 今回単位とれなくても、来学期とればいいし。」
がそのまま子供の泣き顔に直結するとは思わないけど、問題意識があるなら自分に厳しくするのは良いことだと思います。
>十分エリートだと私は思う。まして、私は東大生。エリートじゃなく、何なのか?と思う。
っていう意見に僕がほぼ全面的に否定することは予想がつくと思うんですけど(反対意見として尊重はするけどね)、多分もっと根本的な所で価値観の齟齬があるんだろうなぁ。エリートって社会を指導していく人のことでしょ?その定義が違えば話も変わってくるけど、そう定義する限り「何で学問が出来ると社会を指導出来るのか?」っていう点が気になります。それは自明のことじゃないです。説明してください。指導するとかリードするって事は、勿論、「学問を一生懸命やることで社会を良くしよう」っていう考え方には賛成ですけど。
>「テスト? やっばいよー。でも・・・単位は来るんじゃない? まあ、あんまり勉強してないし。 今回単位とれなくても、来学期とればいいし。」
がそのまま子供の泣き顔に直結するとは思わないけど、問題意識があるなら自分に厳しくするのは良いことだと思います。
>十分エリートだと私は思う。まして、私は東大生。エリートじゃなく、何なのか?と思う。
っていう意見に僕がほぼ全面的に否定することは予想がつくと思うんですけど(反対意見として尊重はするけどね)、多分もっと根本的な所で価値観の齟齬があるんだろうなぁ。エリートって社会を指導していく人のことでしょ?その定義が違えば話も変わってくるけど、そう定義する限り「何で学問が出来ると社会を指導出来るのか?」っていう点が気になります。それは自明のことじゃないです。説明してください。指導するとかリードするって事は、勿論、「学問を一生懸命やることで社会を良くしよう」っていう考え方には賛成ですけど。
2006/02/04 18:14 | URL | きうち [ 編集 ]
スローガンなんかじゃねぇ!
団訓だ!!
・・・というわけで、えーと
>きうちくん
東大生は少なくとも将来エリートになる確率は高いといえると思うよ、
その意味でエリート予備軍ではあるはず。
東大生は、「学問ができるから社会を指導できる」というよりは
むしろ「東大生である、というただそれだけのことで
社会を指導できる(立場たるエリートになる)ことが比較的容易である存在」
なのだと思う。
団訓だ!!
・・・というわけで、えーと
>きうちくん
東大生は少なくとも将来エリートになる確率は高いといえると思うよ、
その意味でエリート予備軍ではあるはず。
東大生は、「学問ができるから社会を指導できる」というよりは
むしろ「東大生である、というただそれだけのことで
社会を指導できる(立場たるエリートになる)ことが比較的容易である存在」
なのだと思う。
人のブログを利用して勝手に会話して申し訳ないけど・・・
まず「エリートとは何か?」ってことなんだけど、辞書を引くとエリートは「社会・組織を指導する人」って出ます。だから、医者や弁護士はエリートじゃない。逆に、医者や弁護士をエリートとするなら、自動車整備工も寿司屋も建築士も大工もエリートになると思う。「大工はエリートじゃないけど弁護士はエリート」って分類できるように定義するのは至難の業だと思うんです。逆に、「私益を犠牲にして公に尽くすのがエリート」ってするなら、高卒国家三種もエリートだよ。
あと、たとえ東大生≒エリートだとしても、「エリートが社会を指導する」っていうニュアンスは民主制から逆行してると思う。民主主義だって問題は多いから、それを否定するのは有りだと思うし、悪いとは言わない。でもそれって今の状況では現実的じゃないと思います。一高の頃とは環境も価値観も変わってると思うんです。民主政治を前提とするなら、エリートは「社会の利益を調整する」立場のはず。
戦前のエリートだって超優秀な人(東条英機だって陸軍士官学校で成績がトップクラスだったとか)が引っ張ってたのに、一般人が何も考えずにただただエリートへ追従せざるを得ない状況だったから、最終的に悲惨なことになったと思うんです。
「その意見、丸山の影響でしょ?」って言われれば、まぁそうなんだけど。
>「東大生である、というただそれだけのことで
社会を指導できる(立場たるエリートになる)ことが比較的容易である存在」なのだと思う。
僕もそうだと思うんだ。これは色んな人が言ってる。
でも、その状況は受け入れちゃいけないって思ってて、この状況が諸悪の根源だと思ってる。戦前なら仕方ないけど。
「その意見、福沢の影響でしょ?」って言われれば、まぁそうなんだけど。
でも、平等を建前にするならその通りだと思う。
「非エリートの人達がエリートの言うことに逆らって、エリートが自分の考えを曲げてでもそれに妥協せざるを得ない」っていう状況がない社会は怖い。逆に、エリートが常に非エリートに妥協してるばっかりの社会も怖い。「エリート:非エリート」っていう区別に限らず、色んな立場の人の主張が100%受け入れられることがなくて、闘争し合ってる。
要するに多元主義なんですけど。
政治学的にエリート主義・権威主義の対極にあります。
ただイートンや坂もっちゃんとはそれ以前の食い違いがあります。
僕が言ってるのは目指すべき世の中の話で、イートンや坂もっちゃんが言ってるのは現実の話だと思います。
「これだけグローバル化が進んでるんだから、現実も違わない?ヘッドファンドのドキュメンタリーなんか見てると、学歴の時代は終わったってのはその通りだと思う」っていう気はしますが(官僚は流行らないし)、そこは譲ったとしても、少なくとも理想では「エリートだ」を標榜しちゃいけないと思うな。民主制を否定して政体を変えるなら別ですが。
この問題に関しては東大の中で賛成されたことがなく、東大の外で反対されたことがありません。
もっと言うと、立花隆の「東大生は馬鹿になったか」に書いてあった「企業の人事部が語る東大生の評価」って言うのは「プライドが高く、組織に溶け込めない」。立花隆自身がその典型だと思うんだけど、「自分こそが組織をリードするエリートだ」って思ってるから学歴の低い上司の話を謙虚に聞けないとか。
「社会を指導する」って言う限り、知らず知らずのうちに他者感覚が麻痺してくると思うんだよね。他者感覚っていうのは「自分とは異なる価値観の人も対等なものとして許容し、相手の話を謙虚に聞くこと」ってことなんだけど。「指導する」っていうのは学校で先生が生徒にすること。そのとき、もし先生が「生徒の価値観の方が正しい可能性がある」って一々思ってたら、指導なんてやってられないはず。「指導」って言葉にはある程度不遜さ、押し付けがましさが付きまとうと思う。
少数の人間が社会全体のことを知り尽くすなんて無理なんだから、人の話を謙虚に聞く姿勢は必要だと思います。その時に「我々こそが社会をリードする」っていう意識は弊害になると思うんだけどなぁ。
まず「エリートとは何か?」ってことなんだけど、辞書を引くとエリートは「社会・組織を指導する人」って出ます。だから、医者や弁護士はエリートじゃない。逆に、医者や弁護士をエリートとするなら、自動車整備工も寿司屋も建築士も大工もエリートになると思う。「大工はエリートじゃないけど弁護士はエリート」って分類できるように定義するのは至難の業だと思うんです。逆に、「私益を犠牲にして公に尽くすのがエリート」ってするなら、高卒国家三種もエリートだよ。
あと、たとえ東大生≒エリートだとしても、「エリートが社会を指導する」っていうニュアンスは民主制から逆行してると思う。民主主義だって問題は多いから、それを否定するのは有りだと思うし、悪いとは言わない。でもそれって今の状況では現実的じゃないと思います。一高の頃とは環境も価値観も変わってると思うんです。民主政治を前提とするなら、エリートは「社会の利益を調整する」立場のはず。
戦前のエリートだって超優秀な人(東条英機だって陸軍士官学校で成績がトップクラスだったとか)が引っ張ってたのに、一般人が何も考えずにただただエリートへ追従せざるを得ない状況だったから、最終的に悲惨なことになったと思うんです。
「その意見、丸山の影響でしょ?」って言われれば、まぁそうなんだけど。
>「東大生である、というただそれだけのことで
社会を指導できる(立場たるエリートになる)ことが比較的容易である存在」なのだと思う。
僕もそうだと思うんだ。これは色んな人が言ってる。
でも、その状況は受け入れちゃいけないって思ってて、この状況が諸悪の根源だと思ってる。戦前なら仕方ないけど。
「その意見、福沢の影響でしょ?」って言われれば、まぁそうなんだけど。
でも、平等を建前にするならその通りだと思う。
「非エリートの人達がエリートの言うことに逆らって、エリートが自分の考えを曲げてでもそれに妥協せざるを得ない」っていう状況がない社会は怖い。逆に、エリートが常に非エリートに妥協してるばっかりの社会も怖い。「エリート:非エリート」っていう区別に限らず、色んな立場の人の主張が100%受け入れられることがなくて、闘争し合ってる。
要するに多元主義なんですけど。
政治学的にエリート主義・権威主義の対極にあります。
ただイートンや坂もっちゃんとはそれ以前の食い違いがあります。
僕が言ってるのは目指すべき世の中の話で、イートンや坂もっちゃんが言ってるのは現実の話だと思います。
「これだけグローバル化が進んでるんだから、現実も違わない?ヘッドファンドのドキュメンタリーなんか見てると、学歴の時代は終わったってのはその通りだと思う」っていう気はしますが(官僚は流行らないし)、そこは譲ったとしても、少なくとも理想では「エリートだ」を標榜しちゃいけないと思うな。民主制を否定して政体を変えるなら別ですが。
この問題に関しては東大の中で賛成されたことがなく、東大の外で反対されたことがありません。
もっと言うと、立花隆の「東大生は馬鹿になったか」に書いてあった「企業の人事部が語る東大生の評価」って言うのは「プライドが高く、組織に溶け込めない」。立花隆自身がその典型だと思うんだけど、「自分こそが組織をリードするエリートだ」って思ってるから学歴の低い上司の話を謙虚に聞けないとか。
「社会を指導する」って言う限り、知らず知らずのうちに他者感覚が麻痺してくると思うんだよね。他者感覚っていうのは「自分とは異なる価値観の人も対等なものとして許容し、相手の話を謙虚に聞くこと」ってことなんだけど。「指導する」っていうのは学校で先生が生徒にすること。そのとき、もし先生が「生徒の価値観の方が正しい可能性がある」って一々思ってたら、指導なんてやってられないはず。「指導」って言葉にはある程度不遜さ、押し付けがましさが付きまとうと思う。
少数の人間が社会全体のことを知り尽くすなんて無理なんだから、人の話を謙虚に聞く姿勢は必要だと思います。その時に「我々こそが社会をリードする」っていう意識は弊害になると思うんだけどなぁ。
2006/02/05 17:47 | URL | きうち [ 編集 ]
んーまず辞書の定義通り「社会・組織を指導する人」がエリートであるとしても、弁護士や医者はエリートたりえると思うんだよね。例えば大企業を動かしている人なんかは仮に経済エリートと呼ばれるし、ここで「東大生はエリート(orエリート候補)」だというときのエリートっていうのは、その多種多様にあるエリートの中でも政治や行政におけるエリートに過ぎないんじゃないかと思う。ただその社会全体に与える影響力が他の分野のエリートより大きい。
>民主政治を前提とするなら、エリートは「社会の利益を調整する」立場のはず。
賛成。
ただ「社会の利益を調整する」ことと「社会を指導する」こととは概念的には全く異なるかもしれないけど、実質的にはあまり変わらないような気が俺にはするね。結局は非エリート(単に“エリート”ではないという意味で“非エリート”)よりも大きな権限をもっていることは確かなわけだよね。
で、その上で(=エリートが非エリートに比べて大きな権限をもっていることを確認した上で)、別に非エリートがエリートの言うことに逆らってはいけない、ということではないと思う。
逆らわずにただ従ってしまったことで例えば、
>前のエリートだって超優秀な人(東条英機だって陸軍士官学校で成績がトップクラスだったとか)が
>っ張ってたのに、一般人が何も考えずにただただエリートへ追従せざるを得ない状況だったから、
>最終的に悲惨なことになったと思うんです。
というようなことになってしまったというのは俺もそうだと思うしね。
そこで必要なのは、
エリートが非エリートの意見を可能な限り汲み取ることであると思う。
それは単に
>妥協
という意味ではなくてね。
この世で全ての人が同じ権限をもって生きるわけではないじゃん(権限と権利を区別してるよ)、
むしろ一部に権限(≠権利)を集めて社会が運営されているわけで、
その社会で全員の平等な権利(≠権限)を保障するためには
権限をもつ一部の人々が、そうでない他の人々の意見を
汲み取って実現させていくしかないぜ、っていう
まあ単純な考えなんですが。
だから、きうちくんが
>「自分とは異なる価値観の人も対等なものとして許容し、相手の話を謙虚に聞くこと」
として言うところの
>他者感覚
は当然必要だと思うよ。
つか、これがないやつがエリートになったら悲劇だよね。
>僕が言ってるのは目指すべき世の中の話で、イートンや坂もっちゃんが言ってるのは現実の話だと思います。
それは少なくとも俺に関しては微妙な線・・・
究極的にはエリートなんていない方がいいとは俺は思わない。
(『今のところね。』っていう保留をつけさせてくれぃ)
エリートと呼ぶかどうかはともかく、
他と比べて相対的に権限が大きい存在というのは結局
生まれてしまうものじゃないかな。
おっと、基礎統計をやらねば・・笑
>民主政治を前提とするなら、エリートは「社会の利益を調整する」立場のはず。
賛成。
ただ「社会の利益を調整する」ことと「社会を指導する」こととは概念的には全く異なるかもしれないけど、実質的にはあまり変わらないような気が俺にはするね。結局は非エリート(単に“エリート”ではないという意味で“非エリート”)よりも大きな権限をもっていることは確かなわけだよね。
で、その上で(=エリートが非エリートに比べて大きな権限をもっていることを確認した上で)、別に非エリートがエリートの言うことに逆らってはいけない、ということではないと思う。
逆らわずにただ従ってしまったことで例えば、
>前のエリートだって超優秀な人(東条英機だって陸軍士官学校で成績がトップクラスだったとか)が
>っ張ってたのに、一般人が何も考えずにただただエリートへ追従せざるを得ない状況だったから、
>最終的に悲惨なことになったと思うんです。
というようなことになってしまったというのは俺もそうだと思うしね。
そこで必要なのは、
エリートが非エリートの意見を可能な限り汲み取ることであると思う。
それは単に
>妥協
という意味ではなくてね。
この世で全ての人が同じ権限をもって生きるわけではないじゃん(権限と権利を区別してるよ)、
むしろ一部に権限(≠権利)を集めて社会が運営されているわけで、
その社会で全員の平等な権利(≠権限)を保障するためには
権限をもつ一部の人々が、そうでない他の人々の意見を
汲み取って実現させていくしかないぜ、っていう
まあ単純な考えなんですが。
だから、きうちくんが
>「自分とは異なる価値観の人も対等なものとして許容し、相手の話を謙虚に聞くこと」
として言うところの
>他者感覚
は当然必要だと思うよ。
つか、これがないやつがエリートになったら悲劇だよね。
>僕が言ってるのは目指すべき世の中の話で、イートンや坂もっちゃんが言ってるのは現実の話だと思います。
それは少なくとも俺に関しては微妙な線・・・
究極的にはエリートなんていない方がいいとは俺は思わない。
(『今のところね。』っていう保留をつけさせてくれぃ)
エリートと呼ぶかどうかはともかく、
他と比べて相対的に権限が大きい存在というのは結局
生まれてしまうものじゃないかな。
おっと、基礎統計をやらねば・・笑
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Noblesse Oblige
最近知り合いの東大生がNoblesse Obligeっぽいことを言ってるのをよく聞くので、だいぶ今更ですがさかもっちゃんの「己に厳しく」にトラバ。さかもっちゃん、毎度毎度トラバしてばっか //tarou's room 2006/02/09 21:26
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